チャレンジャーの軌跡  「事業立上げのスペシャリストが選んだ道」

食品素材

彼はその会社で”事業立上げのスペシャリスト”と呼ばれていた。 大手商社の海外部門から外資金融系企業の戦略的提携部門責任者を経て、30代半ばで一部上場企業の執行役員と、まさに絵に書いたようなエグゼクティブキャリア。人当たりがよく自然体で、言葉の端々にクレバーさが漂う、そんな雰囲気の人物だった。現職には、コンシューマー商品を扱う・自己完結できる事業がや りたいと思い入社したらしい。入社後は、海外事業展開のリサーチを皮切りに、通販事業の立上げの総責任者(←結構有名になったネット販売サイトも彼が手掛 けた作品?の一つである)として100億円を越える事業に育て、社内的には海外事業の責任者としのポジションを打診されていたようである。そんな彼が不穏 な動きを見せ始めたのは、オーナー社長の何気ない一言が切っ掛けだった。

「新規事業として食品も興味がある…」

本業が絶好調の中、場合によっては”殿の乱心”とも受取れる発言。社内的にもまさか本気でやろうと思っている訳ではないだろう、という感覚で受け止められたようである。

新規事業は、本業の周辺事業を手掛けるのが定石であり、本業との補完関係を上手く作りながら援護物資(人・商品・ナレッジなど)を最大限活用しつつ徐々に事業領域を広げてく、いわば陸軍の領土切り取りに例えられる。全く異業界に参入するのは空軍的発想。遠く離れた状況も良くわからない敵陣に落下傘部隊で降下、孤立無援の中、敵の戦力・戦術を見極めながら白兵戦を挑む、場合によっては手を組む。援護物資も限られており、頼りは戦い方のノウハウ(企業の場合は商品を越えた事業モデルやサービスの仕組み)と部隊のモチベーション。敵が弱ければ一気に領土を拡大できる可能性があるものの、失敗の可能性も高い…。
市場調査

いずれにしても部隊のTOPが状況を見ながら瞬時に確からしい意思決定(正しいかどうかも分からない場合が多い)を行う。部隊があたかも家族のように有機的につながり、またそれぞれが最前線で最善の判断を行い実行する。もちろんTOP自身も最前線で共に戦う。判断の一瞬の遅れや間違った選択が命取りになるため、全員が事業のミッションや目的、現在の状況を深く・正確に理解し、すべきことを自らの仕事領域を限定せず遂行していくことが必要になる。といった感じだろうか。

さて、彼はその言葉を聞いた瞬間「これは俺の一生の仕事になる!」と感じた。純粋に、食品という人の生活において不可欠かつ大切なものを、嘘をつかず真面目に作って多くの方々に提供したい。今、本業でやっていることも結局は同じ事なのではないか。俺は現在売られている食品を本当に安心して食べているのか、自分の子供に食べさせたいと思うか。もし実現できれば、それこそ大きな事業につながるのではないか…。

そう考えていくと発想は膨らむばかりである。こんなことがしてみたい、こうやれば上手くいくのでは。もちろん社内でオーソライズされた案件ではなく、また自身も通販事業の重責を担っており、今の仕事そっちのけでそんなことをしている暇は無い。でもやりたい…。

彼は休日を利用して、独り市場調査をやり始める。

市場調査は半年に及んだ。それこそ食品にまつわる色々な場所に足を運び、資料を取り寄せ、事業計画書を書いては修正し、そしてまた白紙に戻して新しいプランを考える。

この頃になると、オーナーにもこの事業をやりたいと話していたらしい。限られた時間の中、リサーチを続ける彼。それを黙認するオーナー。

実際市場調査を進める中で、この業界の複雑な構造と、問題を抱えつつもそれぞれが果たしている役割と意味、何より大手小売の圧倒的な力…。徐々に理解してくるのと比例して、彼はこの事業をするのが恐くなった。やりたいこととできることのギャップ、事業のリスク、実現する為に必要な膨大な時間と労力、本当にできるのか?ある時、そんな正直な気持ちをオーナーに話した。

「そうか、恐いか…。しかし事業をやるということはそういうことだ。」

悩むビジネスマン

半年後に食品事業部は発足した。メンバーは彼一人だった。

最初の参加者は彼の人脈で社外から招聘した。商社を飛び出し自身で外食産業をしていた人物である。社内の人材にも参加を募った。募集要項に「食品を一生の仕事と考えることができ退路を断って来て頂ける方」の一文が入っていた。
それでもかなりの人が手を上げたらしい。

食品業界出身者の採用にも動いた。面接時に彼が必ず言う言葉がある。
「一部上場企業に入ると思わないで下さい。この事業が潰れるとそのまま解散になると思います。それでもやりたいかどうかは冷静に判断して下さい。それでは事業の説明を始めますね…、」

事業部が発足して9ヶ月が過ぎた現在、メンバーは10名を越えた。それこそ休み無く全国を飛び回る日々が続いている。やると決めたことはすなわち自分がす ること。緩やかな役割分担の中、強い結束力と当事者意識。自己責任の超越。新規事業の立上げというと、部内が活力に満ち、ワイワイガヤガヤ、忙しい中にも 何か楽しそうな雰囲気があるのが常だが、この事業部はちょっと違う。

確かに活力が満ちているのだが、「ある一線を越えた者が持つ強さが漂っている」「すべき仕事にわき目も振らず邁進する緊張感がある」と言えば少しは伝わるだろうか。

彼の事業に共感して、それに賭けようと自ら決めたメンバー。無意識のうちにそれを背負っている彼。そして本気になった時に発揮される人間の力。この事業の行く末は神のみぞ知るだが、その環境で時を過ごす事自体がどれだけ大きな財産になるかは想像に難くない。

彼を良く知る人間が、今の彼をこう表現した。
「エリートビジネスマンから経営者に変わりつつある」と。

事業の成功を祈りたい。


インタビュー日時:2008年7月1日