チャレンジャーの軌跡  転機~それぞれの会社から学んだ事

面接

学生時代はプログラム開発のバイトでお金を貯めては中国滞在を繰り返していた。バックパッカーとして世界中を旅したい、そんな事も脳裏をかすめながら就職時期を迎えた。

世の中では就職難が騒がれ、同級生は必死で面接を受けに行っている。自分もそれに押されるように、一方でどこか冷めた目でその状況を見ながら就職先を探した。結局彼が選んだのは、海外出店で有名になっていた地方の中堅スーパーだった。

入社後すぐに店舗に配属され、売り場を任された。元々海外要員として採用されたが、まずは国内で仕事を覚えるのが先である。手探りではあったが、自分なりに工夫を凝らし実績を上げていった。また有志を集めて「アジアの流通を考える会」と称する勉強会を開催し、その事務局もやった。同期会的ノリで息抜き的要素もあったが、普段各店舗に散らばっている有志が、それぞれの問題意識をぶつけ合い思いを語る、そんな場を作ることにもある種の喜びを感じていた。

積極経営で度々ビジネス誌にも取り上げられるほどの会社であったが、内情を知れば知るほど、その会社の危うさが見えてきた。カリスマ性のあるオーナーで、掲げている方針・これまでの実績・人間的魅力はさすがだと感じていた。一方で中間管理職は考える事を放棄しているように思えてならなかった。これまでのやり方を頑なに守ろうとし、新しい事に取り組もうとしない。いくら現場から改善提案をしても暖簾に腕押し状態で、意識の高いメンバーのモチベーションを下げたり、売場の活力にも悪影響を与えていた。
 
ビジネスマンスタート

そのうち財務状況が芳しくないのか、発注した商品も入荷し難くなってきた。
そうなると客足が遠のくのは自明の理、オーナーが視察に訪れる店舗は一夜城のように売場が生まれ変わり、次の日には元に戻るという不思議な?現象まで起こった。この会社の行く末を確信した。もう居続ける事は考えられなかった。

彼の本当の仕事探しが始まった。

 
 
 

経営者の顔が見える会社・海外の仕事が出来る会社という2点を主眼に置き、次の会社を探し始めた。就職環境は相変わらず厳しかったが、いくつか内定をもらうことが出来た。

彼が最終的に選んだ会社は、その中で最も小規模な創業10年目・従業員10名強の食品商社だった。
海外出張営業として採用され、海外出張にも同行しながら仕事を覚えていった。ワンフロア−で社長の息遣いまでわかるような環境、法人相手の仕事、商社という事業の仕組み、全てが新鮮で楽しかった。そのうち仕事振りが認められたのであろう。経理の仕事も任されるようになった。それぞれ仕事を通して会社・事業を違う切り口から見る事が出来たことは貴重な経験となっていった。

会社はそれなりに儲かっており働き場所としても悪くは無かったが、一方でこの会社が創業10年以上経っても大きくならない理由があるように思えてきた。

社長のエゴ?非合理的な仕事の進め方?言葉にするとそういう表現になる。確かに内部から見ればそうかもしれないが、もう少し引いて会社を見たとき、違うものが見えてくるように思えた。成長する会社と停滞する会社もしくは縮小していく会社がそうなる要因は何なのだろう?…会社の事・事業の事をもっと勉強したいと考え始めた。

本

色々な本を読んでいるうちに、ある著名な経営コンサルタントの本に出会った。
挟み込みにその人が運営する私塾の案内があり、早速その説明会に参加した。

説明を聞くうちに起業家育成のビジネススクールもしている事がわかった。結果的にそれが転機になった。初めは受講生として、後にボランティアとしてスクール運営に参加するようになった。

彼は現在、そのビジネススクールの責任者として、プログラムの企画から講師交渉・資料作成・プロモーションまで手掛けるマルチぶりを発揮している。過去2社で学んだ事は彼の提供するプログラムに深みを持たせる要因となった。

セオリーと現実、成功と失敗。事業プランと実行段階でのギャップや障害…。
プログラム内容だけでなく、もっと多面的に事業創出のバックアップをしていきたいと彼は言う。

彼は一度、前々職の会社の経営者を講師として招いている。創業から成長・繁栄、そして会社が無くなるまでのプロセスを、経営者の視点から見ていくことは、起業を目指す人達にとって大きな意味のあることであろう。またそれは、その経営者に対する恩返しなのかもしれない。

インタビュー日時:2008年10月2日